十国峠

かつての十の国が見渡せるという、十国峠へ行ってきました。前回来た時には雪が降っていたので、およそ1年ぶりぐらいだろうかと思います。

夏頃に長泉町の井上靖文学館で出会った一言が頭をよぎります。

「富士は父、天城は母」

今日は、白い衣を纏ったその父の姿をはっきりとみることができた、恵まれた天気でした。

 

僕は無宗教で何かに対する信仰心のかけらもありませんが、生命のつながりや宇宙との一体感を感じる瞬間はあります。過去から未来、これまでの全ての時間や場所を今生きている感覚とも言えそうです。このような場所では、特にそうです。

 

この広大な空間にあるこの塊の見えないところで、マントルは対流していて、プレートは沈み込んで、噴き出したマグマは冷え固まって、海は蒸発し、雨は重力に落ち、雪は多少の抵抗を見せ、水は斜面を流れ、大地は侵食され、運搬され、堆積して、その衣の上で生命が続いてきて、そこに自分という一点を見出す事ができる、そうしたストーリーを発見して、こうやってイメージを描けるんだ、表現できるんだという、何ともあたりまえの奇跡を、思いだします。

 

干支が一周するぐらい前は、今よりも自然と接することが多かったのですが、そういう感覚はありませんでした。何をするにも、自分の手の届く範囲、自分の制御できる範囲に世界を区切って、その小さな世界の中で自分は全能であると思い込んでいた節があります。今思えば、ものすごく幼稚な全能感です。

 

その感覚とは全く異なる類のもので、自分という存在が消えるかどうか、それでも存在しているというところの非常に小さな核の部分で、全能感も不能感も特に伴わないものなのですが、もしかしたら、この感覚も後になればただの勘違いのようなものなのかもしれません。

 

今年愛用のデジタル一眼レフカメラがお亡くなりになったので、動画はその場で持ち合わせていたiPhone7で撮ったものです。画面中央上ぐらいに常にゴミのようなものが映っているし、一眼と比べるとやはりまあ勝手の違いを感じます。なので味付け濃いめにしてみましたが、大分ズレを感じます。そろそろ機材を新調したいところですが、どうしようか悩みどころですね。まずシネマカメラかデジイチかで迷いますからね…