初島散歩

久しぶりに初島へお散歩しに行きました。

熱海から船で30分かからないぐらいの、首都圏から一番近い離島、らしいです。

少し年季の入ったiphoneで、撮りたいところを撮りながらお散歩していました。

途中、大きな岩が目前に現れたので、天辺まで登ってみました。

そこで両手を広げ大自然の息吹を感じている所を写真におさめてもらうと、

思いの外神々しく撮れており、イメージが湧いたので曲を作り動画にしました。

こういった動画の日記をVlogって言うのでしょうか。

そんな日常です。

子年ということでネズミが登場する映画についての雑記

明けましておめでとうございます。ついにネズミの年ですね。僕はネズミが大好きです。

●2019年にみたネズミが活躍する映画(順不同)
『ウィラード』(1971)
『ベン』(1972)
『シンデレラ 』(1950)
『シンデレラ Ⅱ』(2002)
『シンデレラIII 戻された時計の針』(2007)
『アメリカ物語』(1986)
『レミーのおいしいレストラン』(2007)
『スチュアート・リトル』(1999)
『ダンボ』(1941)
『ビアンカの大冒険』(1977)
『ビアンカの大冒険 ゴールデン・イーグルを救え!』(1990)
『マウス・ハント』(1997)

こうみるとアニメーション、それもディズニーが多いですね。まあミッキーがマウスですからね。2019年にはみませんでしたが、『グリーン・マイル』なんかもネズミ登場映画ですね。

短編アニメーションでは、レオ・レオーニの手による、ネズミのキャラクターが主人公の『フレデリック』が非常に質の高いカットアウトアニメーションでした。『レオ・レオニ 5つの名作集』として5本の短編アニメーションがDVD化されています。

スイミーのイメージが強いレオ・レオーニの絵本に関して、その他の著作にはネズミが登場するものが多く、「自分」や「芸術の役割」といったテーマが根底に見出せるようです。広告デザインやその他アートワークも素晴らしく、2019年に最も衝撃を受けた作家でした。

また、その著作の多くの翻訳が谷川俊太郎さんの手によるもので、これも素晴らしい仕事だと思いました。

何に使うわけでもなかったものがほとんどですが、せっかくなので、撮りため、あるいは描きため、作りたまっていったネズミの動画の一部をダイジェストでお送りいたします。

それでは、今年も何卒よろしくお願いいたします。

2019大晦日、お土産に寄せて

中野名産店で入手した「小さな蛸壷」

熱海のお土産屋「中野名産店」がこの大晦日、今年いっぱいでお店を閉めたそうです。お店の歴史は85年になるとのこと。以前立ち寄らせていただいただいた際に、小さな蛸壷、小さな三度笠と草履の飾り物、陶器でできたカップルの置物を購入させていただきました。

熱海と横浜を主な拠点に各地に赴いて、その場所で買った、その場所らしい、その場所にしか無い、何に使うのだかよくわからない置物などを集めています。いわゆるお土産ですね。

どこに行っても母体は同じで書いてある地名だけが違うだけのものもあれば、記念メダルのようなものもあり、その場所で手作りされたオリジナリティあふれるものもあります。これらは、人生にとって無くても良いものなものかもしれません。しかし、数百円のそれが、人生を豊かにしてくれることもあります。

中野名産店で入手した「三度笠と草履の飾りもの」

徹底的にそういった、生きていくために必要なもの以外を削ぎ落とした時期もありました。特にデッサンをしていた時期はそうです。どちらにせよ、その尊重の仕方のベクトルの違いというだけで、根本のところは同じ命題な気はしています。

12月22日で、横浜の他に熱海でも生活をはじめて一年がたちました。せっかく大晦日なので一年を振り返ってみます。

人間の生活の基本として、衣食住とよく言うものですが、「住」の重要性をより実感した一年だったと思います。

「食」については、僕にとって、ここ数年実感をともなった一つのテーマでありました。というのも、2018年の1月に大腸の病気をして、1ヶ月ほど入院生活をしていました。その間の2週間ほど、治療のために水の一滴に至るまでの飲食の一切を禁止することとなり、実際に大腸から虫垂、小腸までの15cmを切除しました。経験したことのない痛みや、食べるということの有り難さの実感を経て、内臓の感覚、自分の内とされる気管の感覚に鋭敏になった気がしています。その後味覚が変わったのか、30年間苦手だった、生クリームや餡子などの「甘いもの」を美味しくいただけるようになりました。また、味覚が敏感になった実感があり、味の記憶力が発達した気がしています。

「衣」については、洋裁の専門学校をでていた母の影響か、十代の頃からテレビや雑誌でパリコレクションを見るのを楽しみにしていました。高校生の当時はジョン・ガリアーノのディオール がお気に入りで、ヨウジヤマモトの良さが理解できないでいましたが、大学生になると、ヨウジヤマモトをある時理解できるようになり、取り憑かれると言っていいぐらいの影響を受けました。今は、紳士服を好んで着ています。一見、ヨウジを好んでいた頃の選択とは矛盾を孕んでいるように見えるかもしれませんが、ヨウジヤマモトのようにテーラードの「制度」に逆らうのも、テーラードが実際よく出来ているという、尊重があってこそで、そのベクトルが違う方向に表出されているという理解を、今の自分に対してはしています。

そういった背景もあり、人生がもし二度あることなのならば、自分は料理人かファッションデザイナーになって、内からか、時代の皮膚感覚からか変えてやるんだ!という夢想をすることもありますが、唯一実感を伴ってなかったのが「住」についてでした。

それが急速な実感を伴ったことは、恐らく、自分で選んだ場所に自ら住むということが初めてだったからかもしれません。福島県郡山市は、自分が生まれた場所でした。福島県の猪苗代には祖父母の別荘と山小屋があり、休日は山で過ごす。時には渓流へ岩魚を釣りに出かけ、テントで数日という生活です。これは自分からすると、自分が生まれる前にそこにあった環境でした。もちろんこの影響は計り知れないほど大きく、そして大切なものです。

大学に進学するとなって、その自分にとって大きな存在の「山」を条件の第一に考え、長野県松本市へ。大学院に行くにあたり変化の時と捉え、海も経験してみるかと神奈川県横浜市へ。それぞれにやはりかなりの影響がありました。

しかし、そこで生活するための箱は、一時のもの、雨風を凌げれば良いぐらいの感覚でいました。それでは今、どういう風に、どんなんところで生きていたいか。仕事はもっとしたい、もっともっと自分の世界を広げたい。そして積み上げたい。そして、釣りをして、色んな魚を釣って、絵を描いて、調律の狂ったピアノを弾いて生きていられたら、最高だな…都会から近く、田舎にもでれる、ちょうどいい場所。海から渓流までの距離が近く、魚種が多様な場所。そうして色々考えて、長期に渡る滞在を経て、熱海に住むことにしました。

そうして住みはじめた熱海では、実際問題が多く…一番は、住居の問題でした。幸運なことに今年の10月、良い方々のお力添えがあり、住みはじめた熱海から熱海内へとさらに引っ越すことで、その問題が解決されました。その問題の影響はかなり大きく、「住」ということについて、考える一年となり、生まれ変わったら建築・不動産関係、という夢想も追加されました。

中野名産店で入手した「陶器のカップルの置物」

実の所、自分の人生、生まれ変わりたくは無いのですが…!なぜかというと、身の周りを見渡してみると、なんだかんだデザインされてないものはありません。それが怖い側面もありますが、ただそれだけで、だからこそ、この仕事の意義が見えてくるようです。

自分の人生、誰かにデザインされてたまるものか、と思いますが、誰かが生きていく上で少し何かが上積みされる、そんなものづくりができたら最高だなと思います。

十国峠

かつての十の国が見渡せるという、十国峠へ行ってきました。前回来た時には雪が降っていたので、およそ1年ぶりぐらいだろうかと思います。

夏頃に長泉町の井上靖文学館で出会った一言が頭をよぎります。

「富士は父、天城は母」

今日は、白い衣を纏ったその父の姿をはっきりとみることができた、恵まれた天気でした。

 

僕は無宗教で何かに対する信仰心のかけらもありませんが、生命のつながりや宇宙との一体感を感じる瞬間はあります。過去から未来、これまでの全ての時間や場所を今生きている感覚とも言えそうです。このような場所では、特にそうです。

 

この広大な空間にあるこの塊の見えないところで、マントルは対流していて、プレートは沈み込んで、噴き出したマグマは冷え固まって、海は蒸発し、雨は重力に落ち、雪は多少の抵抗を見せ、水は斜面を流れ、大地は侵食され、運搬され、堆積して、その衣の上で生命が続いてきて、そこに自分という一点を見出す事ができる、そうしたストーリーを発見して、こうやってイメージを描けるんだ、表現できるんだという、何ともあたりまえの奇跡を、思いだします。

 

干支が一周するぐらい前は、今よりも自然と接することが多かったのですが、そういう感覚はありませんでした。何をするにも、自分の手の届く範囲、自分の制御できる範囲に世界を区切って、その小さな世界の中で自分は全能であると思い込んでいた節があります。今思えば、ものすごく幼稚な全能感です。

 

その感覚とは全く異なる類のもので、自分という存在が消えるかどうか、それでも存在しているというところの非常に小さな核の部分で、全能感も不能感も特に伴わないものなのですが、もしかしたら、この感覚も後になればただの勘違いのようなものなのかもしれません。

 

今年愛用のデジタル一眼レフカメラがお亡くなりになったので、動画はその場で持ち合わせていたiPhone7で撮ったものです。画面中央上ぐらいに常にゴミのようなものが映っているし、一眼と比べるとやはりまあ勝手の違いを感じます。なので味付け濃いめにしてみましたが、大分ズレを感じます。そろそろ機材を新調したいところですが、どうしようか悩みどころですね。まずシネマカメラかデジイチかで迷いますからね…

熱海周辺の紅葉やヒマラヤ桜

最近は紅葉やヒマラヤ桜をみています。

「美には傷以外の起源はない。」

20代の頃、そう実感し、そう生きていた自分がいます。

ところが最近、その言葉と自分との距離が少しだけ離れてきた気がしています。

当時は、「色」というものについて、化学調味料のようなものだと思っており、自分の作品にも好んで使いませんでした。

特に、赤は避ける傾向にありました。

しかし、紅葉をみていると、丁寧にとられた出汁のように、色が何とも魅力的に感じます。

それでも、この魅力を自分が表現するとしたら、やはり単純に色で塗ることはしないと思いますが。

それはもう既に自然が最高の形でやってみせてくれている事ですしね。

ただ、その魅力をどうにか活かせるよう、探究を続けます。

・湯河原の万葉公園の紅葉

・熱海の梅園の紅葉

・三島の楽寿園の紅葉

・熱海の親水公園のヒマラヤ桜

『熱海のチラチラ』

僕にとって「熱海」という単語を認識したのは、そう遅くの事ではありませんでした。

地元である福島県郡山市に住んでいた頃からすると、ここには磐梯熱海という温泉地があって、その本家が日本のどこかにあるんだなあという感覚でした。

少年時代の休日のほとんどを磐梯山で過ごしていた自分にとって、郡山から猪苗代への道すがら、磐梯熱海は何度も目にした場所でした。

また、猪苗代に住んでいた祖父母が、お世話になった病院の存在する場所でもあります。

高校生の頃、母校には応援歌がたくさんあったのですが、その中に、伊豆熱海にはとても行けないから磐梯熱海に行こうという内容の歌詞のものがあったと記憶しています。

その頃から、伊豆の熱海はどんな場所なんだろうかと思いを馳せていました。

初めて伊豆の熱海に来たのは2017年10月のことです。

横浜や都心からはこんなにも近かったのかと驚きました。

1週間の滞在の予定でいたところ、悪天候の影響もあり2週間以上滞在してしまいました。

その後すぐに恋しくなり11月にもう一度来ました。

翌年も飽きることなく熱海やその先の伊東に滞在していました。

何にそんなに惹かれたかは、ここで追々書いていけたらと思いますが、

根底にあるのは恐らく、自分がどう生きていたいか、どう存在したいかという命題なのだと思います。

横浜には住みつつ、2018年の年末から熱海にも居を構え、2019年の10月に熱海内で更に引越しをし、現在、横浜の住居と熱海の住居を行き来しています。

今年の春ごろ、熱海を舞台にしたアニメーション作品を急ピッチで制作していました。

まだ完成はしていませんが、その頃と今では熱海の見え方や考え方も変化しており、もう少し制作の前段階の部分から、つまりロケハンやリサーチ、取材や企画にあたる部分から取り組みなおしたいという思いがでています。

それでも、あの頃作ったアニメーションの1カット1カットが、自分にとっては大変な財産になっています。

本来7~8分程度の映像にはなっていたのですが、一部抜粋して2分にまとめたものを、記録として残しておきます。

伊豆の瞳

伊東市にある、伊豆の瞳と称される一碧湖へと行って参りました。

古いiphoneで撮った映像ですが、日記的に残そうと思いました。

去年末から横浜の他に熱海にも拠点を作り、週の半分ずつ熱海と横浜にいます。

最近熱海市内から熱海市内へとさらに引越しをし、何をするにもより集中しやすい環境になりました。

伊豆半島は、そのジオパークのサイトの解説で、地質学的に地球上の特異点とされています。

参考URL:https://izugeopark.org/about-izugeo/intro/

その恩恵もあり、この場所は様々な可能性に溢れていると考えています。

実際に週の半分をこちらで過ごして歩いてまわってみて、本当にたくさんの可能性がうかんで来ますが、そのひとつが釣りに関するものです。

伊豆は渓流から海までがとても小さな範囲にぎゅっとあります。

淡水汽水海水と近い範囲にあるので、近い範囲で魚種や釣り方が多様であるイメージでいます。

さらには人やそれぞれの生き方も多様なイメージがあり、そういった意味でもとても可能性を感じる場所です。

これからも、行く先々で記録として映像を残していけたらと思います。